チョコット遺跡情報
過去に行った発掘調査をチョコットだけ紹介します。
※掲載情報は発掘調査実施機関の許可を得ております。
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宇治川護岸遺跡(太閤堤)発掘調査(宇治市菟道丸山地内))
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【調査期間:H19/11〜H20/3 発掘面積250u】 @宇治川護岸遺跡(太閤堤)について 乙方遺跡発掘調査実施中に発見された、大規模な石積み護岸遺構は、豊臣秀吉が文禄(1594)から造営を開始した「太閤堤」に関連する治水遺跡であり、わが国の本格的な河川治水の開始期と考えられています。 A発掘調査の内容 今回発掘した遺構は次のとおり。 ・安土桃山時代…石積み護岸遺構(太閤堤)・石出(いしだし) B今回の発掘調査では、乙方遺跡で発見された護岸遺跡について、南側への延長を確認するため、既発掘調査地より南60mを掘削し、既調査地と同様に石積み護岸と石出を見つけました。宇治市歴史資料館は「今回の調査で護岸遺跡が上流に向かって続き、場所によっては護岸造成形式が異なり、治水技術の高さが確認された。」と発表されています。
宇治市歴史資料館「宇治川護岸遺跡(太閤堤)延長部現地説明会資料」より
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宇治市街遺跡発掘調査(宇治市宇治宇文字24番1)
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【調査期間:H19/09〜H19/10 発掘面積500u】 @宇治市街遺跡について 宇治市街遺跡は、古墳時代から室町時代を中心とする集落遺跡で、文献からは、平安時代に貴族の別業が多く建てられたことが記され、過去の発掘調査で発見されている庭園跡の存在がその文献の裏付けとなっています。 A発掘調査の内容 今回発掘した遺構は次のとおり。 ・平安時代…大型掘立柱建物跡、それに伴う柱穴 ・鎌倉時代…小型掘立柱建物跡、それに伴う柱穴 今回発掘した出土品 ・平安時代…青磁・白磁の椀や水差し、土師器 河内系軒丸瓦・軒平瓦 B今回の発掘調査で平安時代後期の遺構から出土した a)白磁の水差しは、福岡県太宰府市で出土した11世紀後半の水差しと似ており、中国宋時代に持ち込まれたと考えられています。また、このような中国陶磁は日常に使用されるのではなく、所有者の格式を示す「威信財」であったと考えられています。 b)軒丸瓦については、ほぼ完全な形で出土しており、その文様は、平安時代に貴族が平等院阿弥陀堂を眺めたとされる小御所の瓦と同形で傷も同じ位置にあり、同じ型で製造されたものと考えられます。 以上のことから、宇治市歴史資料館は「平等院を造営した藤原頼通に近い貴族の別荘があった可能性があり、平安時代後期(11世紀後半)には、宇治川沿いから今回の調査地付近まで街区整備が行われていたことが裏付けられた。」と発表されています。
宇治市歴史資料館「宇治市街遺跡(宇文字24番1)発掘調査発表資料」より ※写真/平安時代白磁水差し片・平安時代軒丸瓦…宇治市歴史資料館所蔵
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宇治市街遺跡発掘調査(宇治市宇治妙楽160番21他)
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【調査期間:H19/04〜H19/05 発掘面積165u】 @宇治市街遺跡について 宇治市街遺跡は、古墳時代から室町時代を中心とする集落遺跡で、現在まで10数回に及ぶ発掘調査が実施されています。文献からは、平安時代に貴族の別業が多く建てられたことが記され、過去の発掘調査で発見されている庭園跡の存在がその文献の裏付けとなっています。 2005年の妙楽55番地の発掘調査では、古墳時代の集落に関連すると考えられる溝跡から最古級の須恵器が発見され注目を集めました。 A発掘調査の内容 今回発掘した遺構は次のとおり。 ・平安時代…庭園跡(12世紀頃)、柱穴 ・江戸時代…方形石組施設、町屋の区画溝、井戸 今回発掘した出土品 ・平安〜江戸時代の土器、江戸時代の茶臼や曲物などの木製品、古墳時代の土器(少数) B今回の発掘調査で発見された平安時代の庭園について、宇治市歴史資料館は「底に礫を敷き詰めた池の洲浜で、東が若干高くなっていることから、西が池の内側と考えられる。また、東と西では敷かれた礫の大きさが異なり、西側の土が東側に比べてより青みを帯びていることから、その境が池の岸辺であった可能性が高い。以上の事柄と既往の発掘成果を対照させると、過去に発見された庭園跡と同様に、この池も貴族の別業に付随する庭園の一部と考えられる。」と発表。
宇治市歴史資料館「宇治市街遺跡(妙楽160-21)発掘調査発表資料」より
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西浦遺跡発掘調査(宇治市木幡内畑)
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【調査期間:H19/01〜H19/04 発掘面積1,720u】 @西浦遺跡について 西浦遺跡は、木幡西浦から内畑の旧巨椋池岸と奈良街道の間に広がる、古墳時代後期から室町時代にかけての集落遺跡で、過去5回の発掘調査では、古墳時代から室町時代の住居跡や墓などが発掘されています。 A発掘調査の内容 今回発掘した遺構は次のとおり。 ・飛鳥時代…方形竪穴住居3基 ・奈良時代…掘立柱建物3基 ・平安時代…大溝(幅4m以上、東西60m以上) 大井戸(間口3.5m四方、深さ5m以上) 掘立柱建物6基 ・室町時代…中世墓3基、五輪塔、石仏 ・織豊〜江戸…濠(幅7m・深さ4m、東西50m・南北25m以上) 今回発掘した出土品 ・飛鳥時代から織豊期にかけての土器、室町時代の五輪塔や石臼などの石造物、 平安時代の木簡(天是…)・木球などの木製品 B今回の発掘調査で、京都大学大学院文学研究科 上原真人教授(考古学)は「今回発掘された井戸は平安時代後期にしては、稀に見る大きさ、60m以上に及ぶ東西区画大溝内の建物群と考え合わせると、広大な邸宅の厨(台所)施設である可能性が高い」また近世の濠については「大規模な堀で囲まれた中世居館を思わせるが、濠内の遺物が近世であるという。しかし、近世の絵図や地割には、この濠の痕跡が残っていない謎の区画である。戦国の気風が残っている近世初頭期に、奈良街道に沿ってこのような溝に囲まれた邸宅を構えた人物像が特定できれば、この時代の歴史に新たな1ページが加えられるのではないか」とコメントされています。
宇治市歴史資料館「西浦遺跡現地説明会資料」より
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