京都 遺跡発掘調査 有限会社京都平安文化財 調査のながれ

pageimg

過去の発掘遺跡紹介

宇治市街遺跡

所  在 宇治市宇治戸ノ内22-1
ご協力企業 積水ハウス株式会社 様
調査期間 H22/03~H22/04
発掘面積 280㎡

宇治市街遺跡について

 宇治市街遺跡は、古墳時代から室町時代を中心とする集落遺跡で、文献からは、平安時代に貴族の別業が多く建てられ、古くは 源融(「源氏物語」の光源氏のモデルとも言われる)の邸宅が、10世紀末には藤原道長が平等院の前身となる邸宅を設け、以後平等院西側には藤原頼通をはじめ藤原氏一門の邸宅が建てられたと記されています。
 過去の約20回の発掘調査では、平安中期から後期にかけての貴族邸宅の庭園跡が3ヶ所発見されており、また現在市街地に残る碁盤目状の町割りは平安後期の都市計画の名残であることが確認されています。 南山遺跡は主に弥生時代の集落遺跡で、南山城地域では広範囲で拠点的な集落の一つであると考えられています。

発掘調査の内容

時  代 発掘した遺構
平安時代 掘立柱建物跡、井戸・池・溝跡
時  代 発掘した出土品
平安時代 土師器(かわらけ)、中国製白磁片、瓦

発掘調査の成果

 今回の発掘調査で、宇治市歴史まちづくり推進課は、「見つかった園池・遣水・廊・庭の要素から、平安時代の貴族邸宅である寝殿造のあり方によく合致しており、なにより、小石敷きの州浜を備え、島を持つ園池の遺構がそれを明確に示しています。平安京内の寝殿造とその庭園は、都が南を正面とすることから南に庭や池を置くのが基本とされていますが、今回の調査地では真逆の北に庭や池が置かれています。これは宇治が別業ということもあり、平安京の規範から離れた自由があったと伴に、宇治が北下りの地形で、当地の北には巨椋池や比叡山、愛宕山を望む雄大な景観美を優先した結果だと考えられます。平安後期の宇治には、優美な州浜園池を配した王朝美あふれる邸宅が予想以上に広範囲に建ち並んでいたことが確認されました。」と発表されています。
  • image

    平安時代の庭園遺構

  • image

    園池内の遺物出土状況

  • image

    現地説明会風景

宇治市歴史まちづくり推進課「宇治市街遺跡(戸ノ内22番1)発掘調査現地説明会資料」より

▲ ページトップ