京都 遺跡発掘調査 有限会社京都平安文化財 調査のながれ

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過去の発掘遺跡紹介

浄妙寺跡

所  在 宇治市木幡赤塚4番地
調査期間 H21/12~H22/03
発掘面積 740㎡

浄妙寺跡について

 浄妙寺は寛永2年(1005)藤原道長により、藤原氏一門の菩提を弔うために建立され、以後摂関家の墓所を守る寺として繁栄していったと考えられています。尚当地の選定には陰陽師・安倍晴明も携わったとされ、造仏には康尚が、寺名の額は平安時代の三蹟の一人能筆家・藤原行成が書いたとされています。
 その後の廃絶に関しては諸説がありますが、幾度かの炎上・再建を繰り返し、「碧山日録」にある寛正3年(1462)の一揆により焼失し、廃絶したとされています。
 平成2年度の調査では、浄妙寺伽藍の中心とされる法華三昧堂の全容と多宝塔跡と考えられる遺構が確認されています。

発掘調査の内容

時  代 発掘した遺構
平安~鎌倉時代 築地跡、溝跡
時  代 発掘した出土品
平安~鎌倉時代 瓦・須恵器・土師器

発掘調査の成果

 今回の発掘調査で発見された浄妙寺築地跡について、宇治市歴史まちづくり推進課は「浄妙寺の南限については、文献の記述から川の跡をもって南限としており、それに伴う施設は確認されていませんでした。今回の調査により、川の北側には築地塀が備わっていたこが明らかになり、おそらく調査地の東側には藤原行成が書いた扁額のかかる門があったのではと考えられます。今回の調査は浄妙寺の具体的な姿を推測する上で、重要な成果である。」と発表されています。
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    築地塀  

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    築地塀  

宇治市歴史まちづくり推進課「浄妙寺跡(宇治市木幡赤塚4)発掘調査現地説明会資料」
宇治市歴史まちづくり推進課1992『木幡浄妙寺跡発掘調査報告』 より

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