京都 遺跡発掘調査 有限会社京都平安文化財 調査のながれ

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過去の発掘遺跡紹介

旦椋遺跡

所  在 宇治市大久保町北ノ山
調査期間 H23/03~H23/05
発掘面積 454㎡

旦椋遺跡について

 旦椋遺跡は、旦椋神社周辺に広がる古墳時代後期の古墳群と飛鳥時代の集落跡、中世の鋳物房跡が見つかっている遺跡で、これまでの調査で古墳時代後期の方墳1基を含む7基と埴輪棺、飛鳥時代の竪穴住居跡多数、中世の鋳物鋳造坑等が調査されています。
 遺跡の立地は、宇治丘陵から流れる名木川によって形成された扇状地上にあり、遺跡はこの川が氾濫した洪水層に覆われて見つかります。今回の調査においても同様形で見つかりました。

発掘調査の内容

時  代 発掘した遺構
古墳時代 小型円墳1基
飛鳥時代 竪穴住居跡6基、土器棺墓1基、土坑など
時  代 発掘した出土品
古墳時代 須恵器、土師器、鉄製品、滑石製玉など
飛鳥時代 須恵器、土師器など
その他 土師皿、緑釉陶器、瓦など

発掘調査の成果

 今回の発掘調査で、宇治市歴史まちづくり推進課は、
「今回の発見によって少なくとも300m四方の範囲に古墳が分布していて、恐らくは数十基を超える古墳が埋没しているものと考えられ、そうなると南山城最大の群衆墳となるだろう。
 また、飛鳥時代の集落も古墳群とほぼ同じ範囲に展開していることが明らかとなり、旦椋遺跡の特徴となっている古墳構築後、あまり時を隔てない段階で古墳と古墳の間や、一部古墳を破壊して住居を造っていることが、この遺跡でも確認できました。一般には古墳を避けて集落を形成しており、旦椋遺跡の状況は特異なものです。
 このように古墳を壊してまで集落を造るには、そうせざるを得ない大きな要因があり、その要因として『日本書紀』等の記事に見える灌漑用水で、仁徳紀と推古紀の2回の掘削記事がある『栗隈大溝(くりくまのおおうなで)』による影響も考えられています。この『栗隈大溝』について諸説があり、その実態はよくわかりませんが、このような国家的事業が旦椋遺跡のあり方に大きく影響を与えたと思われます。」
と発表されています。
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宇治市歴史まちづくり推進課「旦椋遺跡(宇治市大久保町北ノ山)発掘調査現地説明会資料」より

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