所 在 |
京都府木津川市加茂町西小札場 |
ご協力企業 |
株式会社都市景観設計様 樋口造園株式会社様 |
調査期間 |
H24/06~H24/09 |
特別名勝・史跡浄瑠璃寺庭園について
「浄瑠璃寺」というお寺の名前は、三重塔に安置されている薬師如来の浄土「瑠璃光浄土」に由来します。 浄瑠璃寺が建つ加茂町南部の小田原という地域は、山城の南端に位置し大和との国境に近く、平安時代には西に浄瑠璃寺、東に随願寺が建立され、多くの修行僧が仏教修行にいそしんでいた地域でした。その後、随願寺は廃寺となってしまいましたが、浄瑠璃寺は時代にあわせて少しずつ変化しながらも現在まで至っています。
浄瑠璃寺庭園の現在の景観は、昭和51年度に整備されたものですが、それからすでに35年以上の歳月が経ち、石組みが壊れたり木々が生い茂ったり、庭園の荒廃はいちじるしいものです。そのため、平成22年から庭園の保存修理事業を始め、それにともない、これまで調査の行なわれていない部分についての発掘調査をおこなうこととなりました。
発掘調査の内容
時 代 |
発掘した遺構 |
平安時代~中世 |
護岸の石積み・州浜・石組遺構 |
近世 |
護岸の石積み・側溝跡・州浜・土橋 |
時 代 |
発掘した出土品 |
平安時代~中世 |
土師器・瓦器・瓦・木材(建築部材)など |
近世~近代 |
磁器・木材(建築部材)など |
発掘調査の成果
今回の発掘調査で、浄瑠璃寺庭園の様相について、いくつかの発見がありました。
まず、当初は池の周囲全体に州浜がめぐると考えられていましたが、石組の部分もあることがわかりました。また、庭園の池の真ん中にある中島が鎌倉時代以前に土を盛って造られ、江戸時代に木材を用いて改修が行なわれたことがわかりました。さらに、池の南側の岸から張り出す南岸出島は、当初は自然の尾根を削って形成されたと考えられていましたが、中世に土を盛って築かれたことがわかりました。対して、東岸出島はもともとの地山地形を削って造られ、出島の付け根の括れた部分は近世に土橋を造成して改修していることがわかりました。そして、西岸は中世後半には現在よりも2.4m本堂側に汀(みぎわ)がきていましたが、近世には現在とほぼ同じ位置となっていたことがわかりました。
このように、平安時代から現在まで連綿と受け継がれてきた、貴重な庭園遺構の様相が発掘調査をとおして少しずつ明らかとなってきました。今後も続く調査で新たな発見があることを期待したいです。
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本堂と調査区
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塔と調査区
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建築部材出土状況
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発掘作業風景