所 在 |
京都府木津川市加茂町西小札場 |
ご協力企業 |
株式会社都市景観設計様 樋口造園株式会社様 |
調査期間 |
H25/06~H25/09 H25/12~H26/01 |
特別名勝・史跡浄瑠璃寺庭園について
浄瑠璃寺庭園は、昭和51年度に整備されて以降の経年劣化により変貌した景観を再生するため、平成22年より5ヶ年計画で保存修理事業が始まりました。そして、その一環として、池をめぐる景観の様相がどのように変化して今に至っているのかを調べるために、発掘調査をおこなっています。
これまでの調査で、池をめぐる州浜の様相、州浜ではなく石組の岸部分もあること、中島や出島の構築方法、木材を用いた近世以降の護岸改修の様相などが少しずつ明らかとなっています。今回は、いまだ未調査の岸部分や中島の全域を発掘して池の周囲の様相を確認するほか、三重塔の南側に広がる平地部分の調査もおこなうこととなりました。
発掘調査の内容
時 代 |
発掘した遺構 |
平安時代~中世 |
溝状遺構・石組遺構・州浜 |
近世 |
州浜 |
時 代 |
発掘した出土品 |
平安時代~中世 |
瓦器・瓦など |
近世~近代 |
瓦・木材など |
発掘調査の成果
今回の発掘調査により、三重塔南側の調査地では目立った成果をあげることはできませんでしたが、他の調査地ではいくつかの発見がありました。
まず、本堂が建つ池の西側では現在の園路付近の盛土が12世紀前半頃には施されていたことがわかり、保元2(1157)年に本堂が他所から現在の場所へ移築されたという文献記録とも相違がないことを確認できました。また、本堂は直接池に取りつくものと推定していましたが、園路的な空間を設けて州浜に至ることがわかりました。さらに、東岸では現在の園路の下層から排水を目的とした石組遺構を検出しましたが、鎌倉時代初頭頃には土を盛って現在と同じ地形になっていたことがわかりました。そして、南岸の出島では昭和の整備時の護岸位置を確認することができました。そしてまた、中島の全域調査においては、昭和の整備の際にそれ以前の遺構の大半を除去して新たに造成をおこなっていることが判明し、わずかに残存していた中島中央部分を確認した結果、前年度の調査時同様に中島が盛土で形成されたことがわかりました。
このように、平安時代から現在に至るまで刻々と様相を変えてきた浄瑠璃寺庭園の変遷が、調査をおこなうたびに少しずつ明らかとなってきました。今後も続く調査で新たな発見があることを期待します。
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中島全景
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石組遺構
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溝状遺構
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本堂と発掘作業風景