開催日時 |
すでに終了しております 2016年12月14日 13:30~14:30 |
所 在 |
京都府京都市山科区勧修寺西栗栖野町 【map】 |
今回の発掘調査について
中臣遺跡は、東に山科川、西に旧安祥寺川が流れる栗栖野丘陵一帯に広がった集落遺跡です。これまでの調査で、旧石器時代のナイフ形石器や、縄文時代の土坑、3~4世紀の竪穴住居、6~7世紀の建物跡が数多く発見されています。
今回の調査で検出した遺構は主に7~8世紀頃のもので、方形掘込状遺構や柱穴などを検出しました。方形掘込状遺構は4.9m×2.5m以上の大きさで、検出当初は竪穴住居と考えていましたが、根拠となる住居内の柱跡や住居内にめぐらした溝が見つからなかったため、方形掘込状遺構としました。柱穴は列で検出しており、柱穴列1・2・3としました。 それぞれ一直線に並び、柵列または建物の柱跡の一部と考えられます。
出土した遺物の量はそれほど多くなく、土器はほとんどがごく小さな破片でした。土坑1 からは比較的形のわかる古代の土器がまとまって出土しました。
今回の調査地は近現代に耕作地として利用するために遺跡・遺構を削平していることから、個々の遺構の性格がわかりにくくなっていますが、これまでの周辺での調査結果と大差はなく、飛鳥時代以降の人々の活動痕跡を確認することができました。
現地説明会の様子
今回の現地説明会は、調査地が住宅街であることと調査地が小さいことから、周辺住民の方々に迷惑とならないよう、極小規模で近隣住民のみを対象として開催させていただきました。
当日は12月も半ばということもあって、かなり冷え込み、なかなか家の外へ出るのも億劫になるような気候でしたが、それにも関わらず足を運んでくださった近隣住民の方々がたくさんおられました。ご来場くださった方々はみなさん興味深く調査員の話に耳を傾けておられました。ご自分のお住まいの土地に埋もれていた歴史を目の当たりにして、さらに当地への関心を深められた様子でした。
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遺構の説明
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出土遺物の解説