有限会社京都平安文化財 発掘調査 現地説明会 

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現地説明会

平安京右京四条三坊十五町発掘調査 近隣住民説明会

開催日時 すでに終了しております
2020年1月18日 11:00~12:00
所 在 京都市右京区山ノ内赤山町 1番 7他 【map】
こちらから現地説明会の資料をダウンロードできます(1.18MB)→PDFダウンロード

今回の発掘調査について

 調査地は平安京右京四条三坊十五町にあたり、右京の他地域同様に早い段階で非市街地化する土地として知られています。鎌倉時代の京都の基本史料「拾芥抄」(しゅうがいしょう)右京図によると小泉荘にあたるとされ、この荘園は57 町(1町=120m四方)にわたって広がっていたそうです。
 当地の周辺遺跡としては、西側に広がる弥生時代の山ノ内遺跡、北東に広がる古墳時代の西ノ京遺跡、南西に広がる古墳時代の西京極遺跡、時代が下がる中世では南東側に西院城跡(小泉城)などがみられます。山ノ内遺跡は市内最大級の方形周溝墓が確認されるなど弥生時代の拠点的な集落として注目されています。
 今回の調査により、平安時代中期頃以降から鎌倉時代・室町時代に位置付けられる溝群を検出しました。溝1、2 は調査地を南へ貫流しており、主要な用排水路と考えられます。同時期に比定できる出土遺物の量は少ないものの平安時代後期から鎌倉時代の土師器皿、瓦器碗、輸入白磁碗他の小片が出土しています。検出した遺構・遺物によると平安時代中期頃以降の当地は荘園小泉荘の耕作地帯に組み込まれていたようです。
 また、古墳時代後期から古代初めと考えられる溝Aと柱穴を多く含む小穴群の遺構が南区から北区へ展開していて、北区の建物1、南区の建物2は南北棟の身舎南辺と見られますが方位は平安京の町割軸より北で大きく西へ振るようです。出土した須恵器坏や土師器甕片などの遺物からは古墳時代後期から飛鳥時代あるいは奈良時代初め頃の遺構群と考えられます。
 さらに弥生時代後期から古墳時代初めの面からは複数の溝を検出し、溝内から弥生時代後期の高坏・壺・甕他の弥生土器が一定量出土しました。北区の溝D-1と南区の溝D-2は、断定出来ないものの、方形周溝墓の溝の可能性もあります。
 このように、当地は弥生時代後期頃以降、古墳時代から平安京が建都される以前の古代前期頃まで断続的に集落あるいは墓域的土地利用が続いてきたことがわかり、周辺の山ノ内遺跡や西ノ京遺跡と重複する時期に人間活動が営まれていた土地であったことが明確になりました。また、平安時代前期はやや不鮮明ながら邸宅地的土地利用があった可能性が高く、中期以降は小泉荘の耕作地帯に組み込まれて、それ以降昭和の再都市化に至るまで永らく田園地帯の一角を占め続けていたことが、今回の発掘調査によりわかりました。
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    調査区全景
    (北東より)

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    溝内の土器群出土状況

現地説明会の様子

 当調査地は複数の住宅に隣接し、調査中も多くのご不便をお掛けしていたことに配慮しまして、調査の説明会も多くの来訪者を迎えることを控え、近隣住民のみへの告知で執り行いました。
 当日は1月の半ばとはいえ日差しが望めて少し暖かな、心地よい現説日和でした。ご夫婦やお子様連れなど、馴染みの土地の歴史に興味を持ってくださった地元の方々30名程にお越しいただくことができ、とても有意義な説明会となりました。このように、地元の人々が積極的に足を運び興味深く遺構や遺物に目をやり、調査員の説明に耳を傾けてくださる姿を拝見すると、時空を越えて地元の古の姿を垣間見ることができる唯一の機会、「発掘調査現地説明会」というものを今回も開催できてよかったな、と常々思います。
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