所 在 |
宇治市菟道丸山地内 |
ご協力企業 |
睦備建設株式会社 様 京阪電鉄不動産株式会社 様
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調査期間 |
H19/06~H20/03 |
発掘面積 |
4,500㎡ |
乙方遺跡について
乙方遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡と江戸時代の瓦窯跡に伴う遺物が多く出土したことが、過去の発掘調査で発見されています。
発掘調査の内容
時 代 |
発掘した遺構 |
弥生時代 |
方形周溝墓、溝跡 |
古墳時代 |
方墳、竪穴住居跡 |
奈良時代 |
竪穴住居跡 |
平安時代 |
洲浜状遺構、土坑 |
安土桃山時代 |
護岸遺構(太閤堤) |
江戸時代 |
瓦生産に伴う粘土採掘坑 |
時 代 |
発掘した出土品 |
旧石器~縄文時代創期 |
有舌尖頭器 |
弥生~古墳時代 |
弥生土器・土師器・須恵器 |
奈良~江戸時代 |
土師器・須恵器・陶器・磁器・ 瓦(山田源左衛門瓦窯)・ 軒平瓦(京都市東山区・池田瓦窯と同紋/平安宮) |
発掘調査の成果
A調査区(宇治川東岸沿い)から安土桃山時代の石積み護岸遺構が南北75mにわたり、極めて良い状態で発見されました。
a)規模…全長75m・幅5.5m・高さ2.2m、石出(いしだし)も1ヶ所みつかりました。
b)構造…傾斜30度の法面(のりめん)の下端に径20cmの松杭を打ち、割石を盛り上げて水流に備え、上半部から天端(馬踏:ばふみ)にかけては割石を奇麗に貼り付けて化粧しています。
石出は、基部の幅約9m・長さ8.5mの平面台形状の石垣積で、内部には割石が充填され堅固に造られています。
宇治市歴史資料館は、「護岸の造成方法や石材が以前に見つかった槇島堤と同じであり、その他の事象も考えあわせると、いわゆる太閤堤(槇島堤・小倉堤等の総称)の実態が初めて広範囲に明らかになったばかりでなく、当時の大規模な治水の実像を具体的にしることができる全国に数少ない一級の発見である。」と発表されています。
B調査区(低地)では、こぶし大から人頭大の礫を敷き詰めた州浜状遺構が検出されました。平安時代の庭園遺構の可能性がありますが、今回の調査では全体の範囲等の確認ができず、詳細は明らかになっておりません。その他については、低地部分全体に粘土採掘坑が広がっており、これらは、江戸時代の瓦生産用の土取りとして掘られたもので、瓦師山田源左衛門(当時この地にあった窯元)の刻印がある瓦も出土しました。
C調査区(台地)では、旧石器~平安時代までの遺構・遺物が出土しました。
宇治市歴史資料館は「乙方遺跡は、宇治川が平野に流れ出る谷口に位置し、台地上は安定した土地のため、旧石器~平安時代に到る様々な生活の場として利用されていた。」と発表されています。
宇治市歴史資料館「宇治川護岸遺跡(太閤堤)現地説明会資料」「乙方遺跡現地説明会資料」より
写真/軒平瓦(平安時代)※平安宮・京都市東山区池田瓦窯と同紋(宇治市歴史資料館所蔵)