開催日時 |
すでに終了しております 2019年8月31日 11:00~12:00 |
所 在 |
京都市山科区椥辻番所ヶ口町、勧修寺東栗栖野町 【map】 |
今回の発掘調査について
中臣遺跡は、京都盆地の東に位置する山科盆地の中央西半部に所在しています。
当遺跡は東に山科川、西に旧安祥寺川に挟まれた、複合的な扇状地の上面に広がり、縄文時代~室町時代が重なる複合遺跡です。当地には中臣という地名も残り、古墳時代以来の有力氏族である中臣氏との関わりが深い遺跡と考えられています。山科盆地北辺には中臣鎌足の屋敷や鎌足が仕えた天智天皇の御陵などが点在し、中臣氏との所縁を伺わせます。
今回調査することになった区画の北側近接地は勧修寺第二市営住宅団地建設の折、1998年~2000年にかけて広範に調査されており、複数の古墳や竪穴住居址、掘立柱建物が確認されています。そして、今回の調査でも中臣遺跡の最盛期である6 ~ 7 世紀頃の竪穴住居址( 建物4 )、7 ~ 8 世紀初め頃の掘立柱建物( 建物2 ・3 )が確認できました。遺構からは時代を示す遺物として土師器甕や須恵器甕等の小片が出土しています。また、調査地中央に古墳時代末頃の溝状遺構を検出し、近隣で過去に検出した遺構との類似点から古墳の周りを巡る溝の可能性もありますが、一部の検出に留まり断定は控えておきます。さらに、調査地東辺では江戸時代頃に埋め立て始めた山科川の河岸段丘の段丘崖を検出することができました。
今回の調査は小規模でしたが北側の調査で確認されていた遺跡の様相が、南方にまで同様に広がっていたことが明らかになりました。
▶ 中臣遺跡 弊社における過去の調査→
中臣遺跡2016(89次)発掘調査
現地説明会の様子
調査区が狭いことと、住宅街に位置することから、発掘調査の説明会は近隣住民への告知のみで執り行いました。直前の告知になったうえ、当日は曇天ながらも残暑が厳しい中でしたが、近隣にお住まいの方々30名程にお越しいただくことが叶いました。
遺跡や遺構にあまり馴染みのない方にもわかりやすいようにと、建物柱穴をカラーテープで繋いで建物の規模や様相がイメージし安いように設営し、口頭説明だけではなくビジュアルでも明らかになった歴史を体感できるように心がけました。その甲斐あってか、みなさん興味津々にトレンチ内を覗き込み、調査員の説明に聞き入ったり頷き返してくださる姿も見ることができました。小人数のアットホームな規模ながら大変有意義な説明会になったと思います。
-
検出遺構説明時の様子
-
出土遺物解説時の様子