京都 遺跡発掘調査 有限会社京都平安文化財 調査のながれ

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過去の発掘遺跡紹介

中臣遺跡(第89次)

所  在 京都市山科区勧修寺西栗栖野町 113 番
調査期間 H28/11~H28/12
発掘面積 130㎡
現地説明会 2016年12月14日実施 現地説明会資料

中臣遺跡について

image  中臣遺跡は、東に山科川、西に旧安祥寺川に挟まれた地域で栗栖野丘陵一帯に広がる集落遺跡です。
 古くは旧石器時代のナイフ形石器の発見や、縄文時代の土坑、弥生時代から古墳時代の竪穴住居が数多く発見されています。また 6 ~ 7 世紀頃には旧安祥寺川左岸に、「中臣十三塚」と呼ばれる横穴式石室の古墳も造られました。
 1969 年に地元の方が中臣神社に隣接する公園において弥生土器を採集したのが中臣遺跡発見のきっかけです。第 1 次調査が 1971 年に行われ、以降、中臣遺跡調査団 ・ 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所 ・ 京都市文化財保護課によって調査が行われました。
 (中臣遺跡の中臣とは、歴史の教科書に出てくる大化の改新に関与した中臣鎌足(後に天智天皇から藤原姓を与えられる)が、この地に縁があることに因んで中臣という地名が付けられました。)

発掘調査の内容

時  代 発掘した遺構
古墳時代後期~古代前半 (推)竪穴住居址・土坑・溝
時  代 発掘した出土品
弥生時代後期~古墳時代初 弥生土器・壺・甕
桃山時代~江戸時代初期 須恵器・坏H・壺・甕・土師器・長胴甕

発掘調査の成果

 今回の調査で検出した遺構は、中臣氏が朝廷から藤原姓を賜り、政治に大きく関わった 7 ~ 8 世紀にかけての時期の方形掘込み状遺構や柱穴が主なものです。他には土坑や流路があります。
 方形掘込み状遺構の大きさは現存する部分で4.9m × 2.5m 以上あります。しかし、この遺構は調査対象地外へ展開するために元々の大きさは分かりません。この遺構は検出当初、竪穴住居と考えていましたが、竪穴住居の根拠となる住居内の柱跡や住居内にめぐらした溝が見つからなかったため、(推)竪穴住居址としました。
 また、調査区北東半(写真1枚目:左手前側)において、約0.5m間隔で並走する2条の柱穴を検出しました。柱穴は小さいもので径約 30cm、大きいもので約 70cm の規模のものがあります。2条の柱穴列はそれぞれ一直線に並び、柵列か建物の柱跡の一部と考えられますが、いずれも西側には対する柱跡が無く、今回の調査地の東側に展開することが考えられます。他には性格の分からない土坑状の遺構が多く見つかりました。
 出土した遺物の量はそれほど多くなく、土器はほとんどがごく小さな破片でしたが、調査区南西端で検出した土坑からは形のわかる古代の土器がまとまって出土しています。
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    遺構検出状況(北東から)

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    完掘状況(北東から)

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    (推)竪穴住居址

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    出土遺物

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